何度も思っていますが。
5月の同窓会からこっち、本当に同級生と会う機会が増えました。毎週誰かしらに会っているし、今週末は金、土と連続で飲みに行きました。今日も昼食は同級生と一緒で、通っていた高校にも行きました。
飲んでいるときにトイレに行くと、酔っぱらってはいるのですが鏡に映る自分の姿を見て冷めます。「みんなに隠している過去がある自分が、こんなことをしててもいいのか」と。
高校に行ったときも、十数年ぶりに入った教室では懐かしいと思うと同時に「あの頃は、まさか自分が刑務所に入るなんて思いもしなかった」と、やはり思いは自分の前科に対することでした。
こういうことって誰にも相談できないことだし、相談された方だって自分に経験のあることではないから困るだろうし。自分でなんとかしなくてはならないことだけど、やっぱり一人で抱えるには重いです・・・。
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コメント
こんばんは。
私の知人は裁判の結果までずっと報道されてしまったので、いまやほとんどの友人には距離を置かれてしまっているようです。
先日の手紙には、手紙のやりとりをしているのは親と弁護士と私だけで、正直に自分の気持ちを書けるのは私だけしかいない。とありました。
友人に知れ渡ってしまって、居場所がなくなるよりは、管理人さんの今の状態はいいとは思いますが、ある意味ずっと爆弾を抱えているようなもので、前科を隠したまますごさなくてはならないのは重いですよね。
お友達の前にいるのが本当の管理人さんの姿なのですから、ブログに時々吐き出しながら、バランスをとっていくしかないのでしょうね…
投稿: さよ | 2009年7月25日 (土) 18時40分
さよさん
お久しぶりです。
そうですか。知人の方はすべて報道されてしまったのですね・・・。
私は出所してからインターネットや図書館で過去の新聞を閲覧したりしました。幸いなことに私の事件報道は一切無かったのですが、少しでも報道されていなかったかと、かなり神経質になっていました。
もしも私の事件が報道されていたら、仮釈放が終わるまで隠れるように親元で暮らし、その後は地元を離れていたでしょう。
今でも事件のことを知らないと確認できていない人達を見かけても、声は絶対に掛けません。
事件を知らない人達と会っているときには、どこかでまだ緊張感があるかもしれません。「ある意味ずっと爆弾を抱えているようなもの」、まったくおっしゃる通りです。
事件のことを承知で私と付き合ってくれている友人といるときが一番楽ですが、難しいところですね。知ってくれていることがありがたい反面、そのことに対する負い目もあります。依存することも絶対にしてはいけない。
それでも、一人でも私の過去のすべてを知ってくれている人の存在には、本当に救われています。私は恵まれていると思っています。
投稿: Tyome×2MAN(管理人) | 2009年7月25日 (土) 19時37分
管理人さんの過去をご存知の友人もおられるのですね。それでも普通に付き合えるならば、それは本当にいいことですし、管理人さんがその方の存在に救われ、恵まれているとお思いになるのはわかります。でも、複雑なんですね...
それでもそういう方がいらしてよかったですね。私もほっとしました。
知人とずっとやりとりをしていて、この人は本当に反省しているのだろうか、わかっているのだろうか。と思い、手紙を書く意味がわからなくなって、しばらく返事を書きませんでした。ちょっと気持ちが落ち着いて、手紙を書いたところ、上に書いたような返事がきたのです。
独居で、周りにつけこまれないようがんばっているようなので余計に孤独なのかもしれないな、と思いつつ必要以上に頼られることへの負担はやはり感じてしまったりします。
投稿: さよ | 2009年7月25日 (土) 20時32分
さよさん
反省って、たぶん自分で「反省した」と判断できるものではないと思います。人から評価されて初めて「反省」なのだと思います。自己満足ではまったく意味の無いものですから。
さよさんが「この人は本当に反省しているのだろうか、わかっているのだろうか」と思ってらっしゃる以上、知人の方はキチンと反省していないのだと思います。
いくら刑務所生活が辛いとは言え、慣れてしまえばどうということはありません。そんな中で「反省」の気持ちが薄れていってしまうのはわかります。
誰かに依存したいというのも理解できますが、そこであえて依存せずに孤独に耐えることも、反省することのひとつかなと私は思っていました。
刑務所にいる人間の多くは、元々依存心の強い人が多いです。言い換えれば、一人では何も出来ない弱い人間なのです。私もそうでした。
さよさんには知人の方に対して何の義務もないのですから、気が向いたときに手紙を出すくらいでも充分なのではないでしょうか。
投稿: Tyome×2MAN(管理人) | 2009年7月25日 (土) 22時33分
そうですね。管理人さんのおっしゃるとおりだと思います。実感の伴わない言葉だけでの反省、なのかもしれません。まじめに務めていますがどんな気持ちなんだろう、と考えてしまいます。
知人は手紙が来なかった間はさびしくてたまらなかった、時々でいいから手紙をください。と書いていました。そして私は手紙を書かなかった理由をそのまま書きました。手紙が来ない間にいろいろ考えたようで、しばらく書かない時間を作ってよかったとも思いました。
刑務所の中は実社会から隔離されている場所で、その中での辛さはもちろんあるのでしょうが、戻ってきてからの大変さ辛さは管理人さんがブログに書かれてきたとおり。知人にとっては事件や名前が知られているので余計に厳しいと思います。でも気楽に考えている雰囲気がありました。
いくら手紙に書いても、自分のしたことについて実感して、本当の意味での反省が始まるのはひょっとしたら戻ってきてからなのかな、とも思います。
手紙はアドバイスいただいたように、気が向いたときに書く感じで気楽に行くつもりです。突き放すことが必要なときもありますよね。
投稿: さよ | 2009年7月25日 (土) 22時55分